金融の本で『エンデベッドファイナンス』を読んでいたら、ある夢を見た。
そういえば自分の子供時代はもっと物も情報も少なかった。田舎町ということもあり、物や情報がない状態から、徐々に色々なものが出てきた時代であった。幼少時代はバブルであり景気が良かった。スーパーは存在しておらず、商店街もなく、個人経営の雑貨やや肉屋、魚屋があった。八百屋は農家が多いのでなかった。小学校前には個人の文房具屋もあった。自転車を買いたかったら、個人経営の自転車屋で購入し、パンク修理もそこに頼むのが普通であった。
ちょっとした買い物だと隣の市に車で買いに行かなければならなかった。ファミコンなどを買うときは隣の市まで買いに行く必要があったし、人気商品は供給不足で在庫切れも頻繁にあった。駄菓子屋とゲーム機を楽しんでいた。
そういえばDVDというのも当時はなくVHSのビデオテープがあり、基本何か欲しければ買わなければならなかった。それから中古屋というものが生まれてきたり、レンタルというものが生まれてきた。TUTAYAは当時すごかった。週末はTUTAYAに借りに行くのが当然という時代であった。それが今ではGoogleなどの無料サービスが当たり前になり、スマホでも無料のアプリやサービスがあふれている。音楽だって購入せずサブスクリプションだ。
時代はバブルだった。トイレだって水洗トイレが普及し始めた頃だ。家も頻繁に新築が建った。小学校の下校時に建前があって、お金を投げたり、餅を投げたりしているのを拾って帰ったことも数回あった。地元も工務店が潤っていた。バブルだったのだ。すごく良い時代だったと思う。いまの地方都市は見る影もなく当時に建設したインフラの老朽化に悩んでいる。すごく寂れてしまったし、高齢化も進んでいる。しかし、地元の同世代がどんどん都会に出て人口減になっているかと思えばそうでもなく、意外に都会に出ても負けて地元に帰る人が圧倒的に多かった。若いときに戻る人もいれば40代になって戻る人すらいる。結局のところ、自分と同世代の人は地元にずっといるのである。

生まれた時から、お金は小遣いを親にもらうくらいだったし、お年玉も親戚が多くもらうことも多かった。いまではそういう文化もなくなってきている。それが大人になる段階で学歴や職歴などの経歴が蓄積されて不動産や金融資産を持つようになった。自分を形成しているのは単純な人間としての自分ではなく肩書だったり資産だったり家族を形成して1個の自分を表している状態になっている。
寿命が尽きて死ぬときは、これらの人生で獲得してきたものをすべてゼロにしていくのだから不思議なものである。ゼロにするということを安易に考えられないくらい色々と蓄積をしてしまった。非常に未練もある。
これらを蓄積するときも若いときは大変であったが中年になるとその労力が比例しなくなる。若いときの選択と基盤がそのまま継続されることにより資産も年々蓄積され、経歴も蓄積されていく。これらの労力は若いときよりも苦労していないと明らかに思う。ただ、中年になってからこれらを蓄積したり新たに構築しようと思うと非常に難しい。何故なら、そのように社会が構成されていないからである。転職するにも職歴が必要であり、この経験がなければとても厳しいものがある。資産だってまったくのゼロやマイナスだと苦労するが金融資産5000万円を超えるとその労力は非常に少なくて済む。理由も簡単で金融資産が稼ぐほうが生活で消費する割合よりも多いからである。金融資産はますます増えるのにマクドナルドで購入するハンバーガーやポテト、吉野家の牛丼、くら寿司、サイゼリヤなどでも十分に満足してしまう。衣類だってしまむらやユニクロなら金融の稼ぎよりも極小の消費である。

大人になると面白いことに子供時代の趣味を継続する人がいる。ゲームなんて典型的だろう。漫画だってそうかもしれない。これを大人買いしないでそこそこ購入する程度なら、稼いでいる金額よりも非常に少ない消費で十分に楽しめてしまう。いまならスマホの無料ゲームすらある。
そうそう昔は雑誌を買って毎月4000円使っていた時代もあった。それが今では楽天マガジンで毎月500円程度で済む。そんなことを言ったら、インターネットが日本で普及し始めた2000年頃を思い出すと常時接続というのがなくISDNとかを使用していた。夜間は常時接続でそれ以外は課金であり、電話代を数万円支払っていたというバカみたいなときもあった。それがいまでは常時接続で2000円程度である。
携帯電話だってガラケー時代の方が月額を多く払っていた。5000円くらいを毎月支払っていたのだから驚く。それが格安SIMの登場で月額1000円程度で通信費を維持できるし、スマホもiPhoneなどの高価なものではなくAndroidの中国系スマホで満足できるならば本当に安く維持できる時代になった。
様々なものが子供時代よりも溢れており、選択肢によっては非常に安い。

いまインフレだの円安だのと騒がれているものの騒いでいる割に日本人の全体を見れば金融資産は大幅に増加している。確かに自分も増加している。20%くらいの物価高では大きな影響はない。値段が上がれば、それを今まで通り買わなくなるだけで安いディスカウントストアーに移動したり、衣類の買うところをユニクロ以外で見つけたりする。(最近ではAmazonで服を買う)

そうだもっとすごいことがあった。いままで満員電車で通勤していたのがコロナにより在宅ワークがあっという間に普及したことによって通勤しなくなった。その分、スーツや革靴の寿命が大幅に伸びている。だから頻繁に買う必要もない。普段着もスエットの安価なものやパーカーで十分になった。在宅ワークだと仕事ばかりしていると数日家から1歩も出ない状態にすらなる。だからスエットやパーカーを着て定期的に運動をするようにした方が理にかなっているのである。
在宅ワーク普及により、人と頻繁に会うこともなくなり交際費が掛からなくなった。人にも合わないので服代も下がっている。移動すれば外食もする。そういう費用も下がっている。
コロナになり何か困ったことがあるかといえば何もない。満員電車の通勤をしなくなって在宅ワークによって楽になった割に収入は減っているどころか増えている。収入は増えているのに消費しなければならないコストは減っているのである。ならば当然に金融資産は増える。今の生活はとても楽すぎて天国である。仕事を苦痛と思わないので老後になにかしようと考えるのではなく日々好きなことをしている。こんな幸せな大人の時代になるとは思わなかったものである。特にIT業界ではこの動きが顕著である。逆に考えると建前とか義理立てみたいに無くても問題ないものやしなくても良いことに時間を無駄に使っていたのだろう。そういうムダがなく効率的に生きていると思う。本当にいい時代になった。